2014年10月03日
専攻科陶芸展
現在、多治見のセラミックパークMIMOで「多治見工業高校 専攻科陶芸展」を開催している。
おなじフロアでは「国際陶磁器フェスティバルMINO」を開催中だ。
この国際陶磁器フェスティバルの協賛の展示会がたくさん開催されているものの中の一つ。
この専攻科陶芸展、コンテスト方式なので提出したらと言って展示されるとは限らない。
今回の作品「記憶の起源に存在する」は制作過程でトラブル続き。
なんどもあきらめようかと心がボキボキ折れたのだけどなんとか持ち前のしつこさで完成に至った。
い納得なんかしていないし、これで良いとも思わないけれど、
現在の私の力量はここまで。
先日、尊敬する数学者「森田真生」さんがミシマガジンでこうおっしゃっていた。
「多角形はどこまでいっても多角形に過ぎず、円そのものになることはないのだとしたら、そうした無数の多角形の系列の果てに「無限辺多角形」としての「円そのもの」を彷彿してしまう人間の能力は、ますます神秘的に思われる。人間の知性は「神なる」円に比べれば、所詮は有限の多角形に過ぎないかもしれない。」
http://www.mishimaga.com/sugaku/
真理をめざし「無限辺多角形」をめざし日々研鑽していこう。

おなじフロアでは「国際陶磁器フェスティバルMINO」を開催中だ。
この国際陶磁器フェスティバルの協賛の展示会がたくさん開催されているものの中の一つ。
この専攻科陶芸展、コンテスト方式なので提出したらと言って展示されるとは限らない。
今回の作品「記憶の起源に存在する」は制作過程でトラブル続き。
なんどもあきらめようかと心がボキボキ折れたのだけどなんとか持ち前のしつこさで完成に至った。
い納得なんかしていないし、これで良いとも思わないけれど、
現在の私の力量はここまで。
先日、尊敬する数学者「森田真生」さんがミシマガジンでこうおっしゃっていた。
「多角形はどこまでいっても多角形に過ぎず、円そのものになることはないのだとしたら、そうした無数の多角形の系列の果てに「無限辺多角形」としての「円そのもの」を彷彿してしまう人間の能力は、ますます神秘的に思われる。人間の知性は「神なる」円に比べれば、所詮は有限の多角形に過ぎないかもしれない。」
http://www.mishimaga.com/sugaku/
真理をめざし「無限辺多角形」をめざし日々研鑽していこう。
Posted by mogu♪ at 21:57│Comments(0)
│陶芸